幼少期(1)
末っ子
私は平成1桁生まれのO型。
祖母の家があった千葉県で産まれ、東京で育った。
現在までずっと東京に暮らしており、東京以外で1ヶ月以上暮らしたことは無いかもしれない。
兄弟は姉が1人いるだけ。
従兄弟は姉より年上だったためあまり交流はなかったが、近しい親族の中で末っ子として幼少期はまあまあやんちゃに過ごした。
今現在の私は、目立たないように家で静かに暮らすことが得意で派手なことを一切しない性格(だと思っている)のため、幼少期のエピソードを友人に話すとギャップに笑ってもらえる。
少しずつ紹介していこう。
①ゲームをやりまくる
まずは子どもあるあるなところから。
当時の私は、ドリームキャストと64とゲームボーイアドバンスが大好きな幼稚園児であった。
まずは自宅にあった64。
64は母親と一緒にやるのが好きで、ゲーム中の怖いと感じた場面などは母親にクリアしてもらった。
特に『爆ボンバーマン』は爆発でハートが減ってしまうのが怖く、母親にボンバーマンを操作してもらい、自分は2Pのポミュばかり操作していた。
もはや自分がポミュを操作するのが当たり前であった。黄色の△ボタンでボンバーマンの上にポミュが飛んでくるのを何度もやって母親に怒られた。
ポミュはボス戦の時操作できなくなるため、母親に「ボスを早くやっつけろ〜!」などと煽りを入れつつ、自分は攻略本を貪り読んでいた。
長時間のゲームに付き合わされた上に色々と集中出来なかっただろうに…母親には申し訳ないと思っています。
今でもアプリゲーム友達になってくれる最高の母親です。
今度はドンキーコング64一緒に全クリしましょう。
爆ボンバーマン2公式ガイドブック―Nintendo 64 (ワンダーライフスペシャル)
- 作者:ハドソン
- メディア: ムック
次は私の部屋にあったゲームボーイアドバンス。
ピンクの中が透ける色で単三電池2つ必要。
『テイルズオブファンタジア なりきりダンジョン』を頑張ってやっていた。
ソフトの箱に描かれた藤島康介先生の双子が可愛すぎて…当時は女の子の方にリア恋していた。なんという可愛さなんだ。
当時、村人のリクエストのようなものが全然意味がわからず、最初のうちは村人に話しかけまくるだけだった。
それでもなんとか3つ目の絵までは進んだのは完全に気合いだ。
8時間ぶっ通しでゲームをやって怒られ、ゲームボーイアドバンスは階段から投げ落とされてしまったが、無事で本当に良かった。
iPhoneだったらバキバキになっているだろうに、当時のゲームは本当に衝撃に強いと思う。
そして母親には何度も怒らせている。本当にごめんなさい。
↓この絵を見ると今でも胸がキュンとする
最後にドリームキャスト。
ドリームキャストは祖母の家にある。
ソフトはかなりたくさんあって、『セガ テトリス』『サクラ大戦』『サンバDEアミーゴ』『ぷよぷよ〜ん』『バーチャファイター』『ソニックアドベンチャー』などなど。
最も遊んだのは『セガ テトリス』。
ひたすらモードはもちろん、母親や姉やコンピュータ相手と対戦しまくり、エンディングロール流しまくり。それでも何度も遊んでしまう最高のソフト。
キャラクターの色違いが全然揃わないし、コントローラーの反応が悪くてここぞという時に全然ブロックを回せない。それでも楽しいから祖母の家に行くととりあえず起動させてしまう。
本当に大好きなソフトだ。
メモリーの容量がいっぱいなので毎度初期からになるが、今でも祖母の家に行くとやっている。
『バーチャファイター』は操作方法がよくわからないままやって、全クリしてしまった。
祖母の家で留守番している時にやったのを覚えている。
ボスだと思われる全身透けてるガラスの人形のような敵が非常に怖かった。
その上、母親も姉もいなくて、でもとりあえず他にやることも無いから…と少し寂しい思いをしながらびびりながらやっていた。
帰ってきた母親に全クリしたよと自慢して、すごいねと言われたのがとても嬉しかった。
ゲームの内容はどれも面白いものだったが、やっている途中の気持ちは結構違うものだった。
クリアできていないゲームもたくさんあるので、また改めてプレイしたら当時のことを少し思い出せそうだ。
幼少期はまだ続く……。